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トランプという言葉がこわい

合宿の帰りのバスの中で同期の誰かがトランプがしたいと言った。トランプと聞いてすぐに頭に浮かんだものが、母が亡くなる半年前くらいだろうか、家にトランプがないと言ってメモ用紙でトランプを作って姉と遊んでいたこと。大雑把な性格の母が作ったものだから、何枚か抜けがあってババ抜きがちゃんとできなかった。
しばらくしてちゃんとしたトランプを買ってきた。たまに母とトランプをした。姉もよく付き合っていた。わたしは姉に比べてあまりトランプをしようとしなかった。家から逃げて母から目を背けて外に居場所を求めようとしていたときだった。

母が亡くなる一、二ヶ月前、姉もピリピリして、母は安定剤や死の恐怖からか落ち着きがなく一人でトランプ遊びをしていた。わたしも姉も母と一緒にトランプをしようとは言わなかった。ただトランプを合わせたり数えたりする母を見ているだけだった。そして母は亡くなった。
わたしは、あのときのこと、自分にとって都合の悪い記憶には蓋をしていた。本当は、あのときトランプ一緒にしてあげればよかったとか、もっと家にいればよかったとか、母が倒れる前日の定例ライブなんて出なければよかったとか、ぜんぶぜんぶ後悔でしかないのだけど、それを口に出したり考えたりすると、もう生きてられないきがして思い出さないように考えないようにしていたのだった。

トランプは起爆剤だった。
こわかった。トランプって単語を聞いて、ぜんぶを思い出して、なんでわたしはあのとき…そう考えたときにはもう泣いていた。合宿の帰りのたのしいバスのはずが、わたしは泣いていた。外にいるのに母のことを考えていた。家に帰っても母はもういない。わたしはなんで母のいない家に帰っているんだろう。去年みたいに合宿〜だったよって話をしたかったのに。
車酔いで寝たふりをしながら泣いた。それからはずっと気分が悪かった。はやくひとりになりたかった。

もうすぐ母が死んで半年になる。いつになったら平気になるのだろう。いつになったら母の死を受け入れられるのだろう。未だに「家に帰ったらおかあさんに話そう」と無意識に考えてしまうときがある。
どれだけ時間が経っても罪悪感だけは消えてくれないような気もするなぁ。