20代

なんかまあどうでもええけど20代でお母さんがまだ生きてるってどんな気持ちなんかね。時々どうしても考えちゃうときがあるな。この子達はみんな何かあれば母親に話したりできるなんやって。

若いうちに周りに母親を亡くした人がおらんから、わたしがどんだけダメなんかが分からへんねんな。彼氏はお父さん亡くしてるけど、お父さんのこと好きやったかどうか微妙なとこやし気持ちが互いに分かるかって言うたらこれもまた微妙。彼氏はきっと経済的に苦労したと思うけど、わたしは経済的にはそこまで苦労してない。何なら母親が亡くなったことによって保険金を奨学金の返済に充てさせてもらったくらいなんでその点は恵まれてると思う。だから、そういう苦労についてはわたしはあんまり分かってあげられへんのかなとかも思う。

けど、精神的な部分ではわたしの方がもしかしなら大きいんかなって。大嫌いな父親が生きてて、大好きやった母親が死んだ。父親が嫌いが故のマザコン。家庭のことでは結構色々あったし、昔から精神的に頼れる家族が母親しかおらんかった。

闘病の3年間、ずっと近くで見てた。大学生の間、一番楽しい時期に、他の子に比べたらいろんなこと我慢したと思う。でもいろんなこと我慢しても報われることもなかった。母親も死んだし、大学のサークルでも微妙な存在。ほとんどの人間がわたしのことなんか覚えてないやろなという感じ。まあそうよね。しゃあない。

というか、わたしの我慢は中途半端すぎたのね。もっと母親に入れ込めばよかった。もう4年経つけど、後悔がすごいもん。最後のときが分かってれば、もっと色々やってあげれたのにな〜って。

3年間、終わりが見えへん真っ暗なところにいるような感じやった。いつ終わるか分からへん。わたしもお姉ちゃんもぴりぴりしてた。体も心もずっと疲れてたから。でも人がおるところでは泣かれへんし、わたしはいつも電車とかバスとか移動のときに泣きじゃくってた。だからしばらく電車に乗ると思い出して、またずっと泣いてたな。流石に今はもう大丈夫やけども。時々思い出しても、家で泣けるようになったしね。あの時の家は心が休まるところとかじゃなかったし、わたしの部屋にはお母さんの介護用ベッドがあったし、わたしの部屋はわたしの部屋じゃなかった。お母さんの前では泣かれへんかった。再発して、もう長くないと思うから覚悟してって言われたときから、死ぬ寸前の意識がないときまで。

正直死んだ直後も泣けるようで泣けてなかった。あのときもっと泣けたらすっきりしてたんかもしれへんけど、その余裕も残ってなかった。

だからまだこんなに時間が経ってもぐずぐず泣きじゃくる日があるんかな〜。強くなりたいけど、なんとなくもう人生に希望が無くて、強くなる云々の前に早く終わってほしいって毎日思ってる。

これを誰かが見ることがあったら、まだ引きずって可哀想なふりしてると思われるんやろうな。きっとどこにも理解してくれる人がいないことが悲しい。